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▪️残念な『遠回りマインド』から『近道マインド』へ

情けない自分に慣れている

私は今年48歳になる。
48歳くらいの人のイメージは、
もう色々達成して、若い人たちを見守る立場なのでは…
だが、残念ながら私はまだまだ挑戦中。
なんならまだ、挑戦以前かもしれない。

情けない。
考えが甘い。
不甲斐ない。
臆病者。…etc

自分を卑下する言葉は、スラスラ出てきてしまう。
それくらい情けなさを感じる時間が長かったということだ。

でもこういう思考が、システム的に良くなかったのだと、
昨日の夜、ふと思ったので、
今日、書いておくことにした。

肉体は長く同じ状態を保とうとする


肉体が乗り物で思考がシステムだとしたら、
私自身が情けない方向へ進むシステムを持った乗り物だったということ。

素敵な生き方をして輝いている人を見ると、
そういうのいいなぁと憧れる。
そんな風に生きてみようと思う。
でも、その人じゃないので、
そう上手くいくわけもなく、
「なんか違った」となる。

そんな事が続いて、時間が流れていくと、
だんだん焦り、自分を不甲斐ない人間だと感じるようになる。
そして、その不甲斐なさを感じる時間が長ければ長いほど、
不甲斐ない人生であることが、
正解であると肉体が判断するようになる。

なので、どんなにチャレンジ精神を持っていても、
肉体は不甲斐ない結果に着地しようとする

ダイエットと同じだ。

私が勉強した本『太らないからだ』には、
太っている時間が長いほど、その人がどんな考えであろうと関係なく、
ホルモンが太っていることを正しいと判断して、
痩せないようにコントロールする。とあった。

肉体は長く同じ状態にあることを正しいと判断するようにできている。

私は、ずっと情けない。
だから、「情けない🟰幸福」であると、
私の肉体自体が勘違いしていた可能性がある。

納得のいく生き方がわからない


自分を情けなく感じるのは苦しい。
でも、外へ答えを求めても、自分にフィットする正解などない。
自分自身を発掘するしかない。
私はヨガを勉強して本当に良かったと思っている。
瞑想という時間を持つことを学んだから。
私はひたすら瞑想に頼って、
私自身の神に「お願いです。どうか答えをください。」と願い、
ひたすら無になり、答えが落ちてくるのを待った。

それでもすぐに答えはやってこなくて、
あちこち壁にぶつかっては、また不甲斐なさを発動。

人生をかけてやるべきことを把握したかった。
なんの違和感もなく、これだと言えることをやりたい
自分がずっとやっていたいくらい好きな事はわかっている。
私は歌とダンス、アクロバットが大好きで、
なんかそんなことをやる人生がいいなと子供の頃から思い描いていた。
でもそれをどうやって生きていく手段として、
自分の人生の主軸に持っていくのか、

それがずっとずっとわからなかった。

歌とダンスが好きで、
私がもしアイドル並みに可愛いかったら、
私がもし超絶運動神経が良かったら、
その道はわかりやすかったかもしれない。
でも、そうではない場合の事例がなんなのかわからなかった。

その時がやっと来てくれた

今思うと、ぶつかり続けた壁は全て進むべき道のヒントで、
そこを経由しなければ、答えに導かれなかったのは確かだと思う。
肉体と思考が一致した、違和感のない答え
それが何か最近やっとわかった。
でも、もっと若い時に一致したかった。
というのが正直なところ。


若い頃、私は色んな素敵な事に興味があった。
全部経験してみたかった。
でもそれが本道じゃないことも知っていた。
自分のことだから自分を誤魔化せない。
なのに誤魔化そうとなん度も遠回りしたのは何故だ?
そのたび、その道に呼ばれず、
不甲斐ない念」を育てすぎた。
それが、答えを導き出すことを遅らせた。
『遠回りマインド』だったと思う。
『遠回りマインド』は不成功のもと。

だからこれからは、マインドチェンジ。

この歳で答えを出すのに時間がかかる体質でいると、
死ぬまでに自分を生かしきれないじゃないか。

ブレずに生きたい


では『近道マインド』とは何か。
それは違和感のない道をただ正直に真摯に進むこと。
って、まだ近道に成功していないから、
そうなんじゃないかなーって思ってるだけだけど。(笑)
そうやって生きてみようと思います。

脱『遠回りマインド』
長かった分、無意識に陥る可能性あるからね。
そこはいつも慎重にパトロールして潰していこうと思います。

ここまでお読み頂き、ありがとうございます。